病気を受け入れられない
これまでずっと健康に暮らしてきました。
いつかは病気になるかもしれないけれどそれはまだまだ先のことだと思っていました。
まさか病気で手術が必要と言われるなんて夢にも思いませんでした。
受け入れることができませんでした。
仕事は特に問題なく遂行できていたと思いますが家ではずっと泣いていました。
これから私はどうなってしまうのか。
頭が混乱して冷静に考えることができませんでした。
「がんだったらどうしよう、私、死んでしまうの? こわい」
「でも、腫瘍マーカーは陰性だし大丈夫・・・なはずだけど・・・」
「どちらにせよ手術だ、手術こわい、痛いの嫌だ、したくない」
「誰に頼ればいいの? お母さんはいないし、さみしい」
こんな時、頼りになるのは母親だと思いますが私の母はすでに病気で他界しています。
どうしたらいいのか途方に暮れました。
ブログをあさる
この頃はとにかくネットで同じ経験をしている人のブログを探して読んでいました。
多くの人が私と同じように突然病気が発覚し、ショックを受けて、でも手術にのぞみ、前向きに治療している様子がブログには書かれていました。
私もがんばれるのだろうか?
前向きになれるのだろうか?
ただ、ブログのおかげで自分一人が苦しいのではなく、多くの人が同じような思いをしているということがわかり少しだけ安心しました。
精神的なつらさの頂点
すべてが終わった今、振り返ると精神的に一番につらかったのは病気が発覚( 6/11 )してから手術日が決まった日( 6/26 )までの間でした。
自分の殻に引きこもり、周囲から自分を断絶していました。
そのせいで周囲が見えなくなり、より深く溝にはまり込んでいたように思います。
自分がこの世で一番不幸
私には友達もいないし、
お母さんもいないし、
彼氏もいないし、
誰にも相談できないし、
こんなに不幸なことはないって思いました。
誰にも頼れないってことは誰からも頼りにされてないってことで私はこの世界にいらない人間なんだって、どんどん思考が飛躍しました。
入院・手術を終えて思うこと
手術日が決まると仕事と入院準備に追われて、あっというまに手術をするまでの1か月が過ぎました。
そして、入院すると周りの人達はみんな何かしらの病気をもっていました。
周囲を見回していたら、自分だけがつらいなんて思わなくなりました。
むしろ私よりも深刻な状態の患者さんのほうが多かった。
それなのに明るくしている姿を見て私も見習おうと思いました。
今、思えば、
病気がわかってショックを受けるのも、受け入れられないのも当たり前の反応です。
誰かの前では平気な顔をしても一人で不安になって泣いてしまうことだってあります。
それでも、なんとかネットや周囲の人のちからを借りて心のバランスをとっていました。
現代に生まれてよかった。
ネットのない時代だったら、私は完全に孤立してずっと不安だったに違いない。
どん底からの浮上
人の気持ちは浮き沈みするものです。
しばらくどん底いたら自然にちょっと浮上してみるかという気持ちになりました。
意識せずともどん底にいることに飽きてじゃあ次はどこに行くかとなるともうそれ以上の底はないからいわずもがなです。
悲しむときはとことん悲しんでよいと思います。
そのうちにふっと次に行くかって気分になるんです。
ブログでも先をゆく人たちが示してくれています。
みんな沈んで、そして浮かび上がる。
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